文部科学省内で日本を崩壊させる工作が、浸透している。

文部科学省-

 

 

今、文部科学省内で日本を崩壊させる工作が、浸透している。

教科書不正検定し、教育基本法及び学習指導要領に最も近い自由社の歴史教科書を無理やり不合格にした事と、それをセットにして、亡霊の如くよみがえらせた「従軍慰安婦」、文部科学省官僚の政権への反乱である。

関連の情報2点を掲載します。

安倍首相も萩生田文部科学省大臣もこのことをきちんと知るべきです。

FB友の情報(まさにその通りです。)

 これは文部科学省の政権と教育基本法への反乱であり、安倍政権が対抗できないと見切って打ってでた革命戦略だと思っています。

文部科学省と日教組は、村山政権以降共存関係にあり、不登校対策で共闘関係に発展させ、今回の事件で一体化しました。

日教組は、反米親中の姿勢を鮮明にしてきましたから、この裏に中国共産党の工作が存在すると見るべきです。恐るべき事態です。

 この事件に関して、サンケイ新聞令和2年3月27日、5面

中曽根氏「自虐史観記述が取ったのは問題」自民党の中曽根弘文元外相は26日の二階派会合で、令和3年度から中学校で使われる一部の歴史教科書で「従軍慰安婦」の呼称が復活し、先の大戦で日本軍が「沖縄を『捨て石』にする作戦だった」との記述があることについて「自虐史観的なものや誤った記述が通ってしまったのは非常に大きな問題だ」と述べた。

近く党文教部会などで関係者から事情を聴取する考えも示した。

【歴史市民塾・澤井コンサルタント事務所代表の投稿から頂きました。】

 

 

靖国神社への今上陛下の御親拝の実現

靖国神社の英霊に

【靖国神社への今上陛下の御親拝の実現!!】
~45年も御親拝を賜われていないのは、英霊に対して非礼~

早いもので、令和の御代になって今日で1年が経過しました。

即位の礼等の皇室関係の行事が無事に終わった後での武漢肺炎騒ぎで、本当に良かったと胸を撫で下ろしています。(1年前だったら大変でした。)

最近は、禁足令中なので自宅で日頃できないことをしています。

また1ケ月間非常事態が延長されたため、5月24日「靖国神社」での義烈空挺隊の慰霊と顕彰の集いを延期することで再度準備を始めています。

そんな中、ふと靖国神社の御親拝について気になり、少し調べてみました。
最後の御親拝となったのは、昭和50年11月21日の秋季大祭時に昭和天皇の御親拝を賜ったのが最後となっています。

平成の御代には一度も御親拝を賜る機会が無かったのは国民として残念でなりません。

昭和50年から45年間もの間、御親拝を賜われなかったことは、大東亜戦争はじめ国の為に戦い散華された英霊に対して大変申し訳ない状態が継続しています。
いろんな経緯があってこの異常状態が続いていますが、昭和天皇は次のような御製を遺されています。(昭和61年8月15日に詠まれています。)

この年の この日にもまた 靖國の
みやしろのことに うれひはふかし

昭和天皇が御親拝をされなくなったのは、所謂A級戦犯の殉国七士が靖国神社に合祀されたからだと伝えられていますが、以降も毎年春秋の例大祭には天皇の代理として、勅使が参向しています。

昭和天皇のお気持ちは、御親拝継続であった事は容易に推測されます。

誰かが恣意的に所謂A級戦犯合祀を不愉快説をでっち上げたように思われます。
(この御製が、間違いなく昭和天皇お気持ちを表していると思います。)

それまで、靖国神社御親拝が問題にされることは無かったのに、昭和50年8月15日

に三木元首相が靖国神社参拝した時に、社会党等の野党からの質問に対して「私人参拝」と公言したことから問題視され始めています。

三木首相の自分を守る為の、軽はずみな発言から?國問題をつくり上げられたのです。

国の英霊を祀る靖国神社に参拝する首相は、公人として参拝するべきなのです。

愛国心など欠片もない情けない政治家が三木武夫元首相です。
その後、昭和53年10月に所謂A級戦犯の合祀が行われ、太平正芳元首相は参拝されたそうです。

その次が大変情けない首相が誕生しています。

中曽根元総理は、防衛庁長官まで経験し、戦時中は海軍中尉として従軍した経験者でありながら、中国からの抗議を受けて簡単に参拝を中止しました。(昭和61年8月)あり得ない話であり、戦友を蔑ろにした愚かな政治家です。

時系列で見れば、昭和53年のA級戦犯合祀の8年後の中国の抗議に屈服した情けない首相である。(以降、たびたび、中国からの抗議に屈服するのが当たり前になりました。)

三木、中曽根両亮首相がそれこそ?國神社の英霊に対する超A級戦犯となります。

安倍首相も第一次安倍内閣時にはは参拝したものの、第二次安倍内閣では実行されず、準A級戦犯となっています。

今上陛下、上皇陛下の御親拝の道筋をつくるためにも、安倍首相には今年の8月15日には靖国神社参拝を復活しても貰いたいものです
(武漢肺炎で中国は自国問題に四苦八苦している状況であり、復活のチャンスでもあります。)

【「空の神兵」顕彰会 会長・奥本 康大先生の投稿から頂きました。】

【国家の秩序の崩壊と、マスコミの陰謀!?】

国家の秩序の崩壊と、マスコミの陰謀

【国家の秩序の崩壊と、マスコミの陰謀!?】
~眼を覆いたくなる、日々の報道番組、ワイドショー!! ~

武漢肺炎禍で日本国の舵取りが重要な時に、テレビの報道番組、ワイドショーは社会秩序の崩壊を企てているとしか思えません。

発言の自由が民主主義の基本かも知れませんが、責任など取れない著名人、元政治家、MC、芸能人が好き勝手の放談会を演じでいます。☆彡☆彡☆彡

情けないのは、橋下 徹氏が場を弁え無い、自分は正しい的発言を、なんと閣僚相手に捲し立てています。☆彡☆彡☆彡

また、ワイドショーはこんな茶番劇を流し続けています。

これって何!?

お花畑の国民は、橋下氏が素晴らしい論客と勘違いしてしまいます。
⇒反日メディアが仕組んでいるのかも!?

また、こともあろうに、大臣が橋下氏に指示を受けているような場面も随所に見受けられました。

昨日は、萩生田大臣の大臣とは思えない橋本氏に媚び諂った対応でした。☆彡☆彡☆彡

橋下氏は、調子に乗り過ぎていますが、誰も嗜める人間がいません。

先日からメディアの酷さについて、感じた事を書いていますが、下記写真の著名人に対し秩序ある発言を促して欲しい!!

放送倫理など全く無視したような、居酒屋での放談会的ワイドショーは禁止してもらいたい!!

国民はこれを見て、国難を克服するために、一丸となって、行動しようと結束しなくなります。

これでは、補償??補償??補償??の大合唱や、デモ活動が起きるのは必至です!!

橋下氏、東国原氏他に、政府批判を繰り返しさせておけば、日本はおかしくなります。

また、このような無頼漢的立場の人間をテレビのワイドショーに出演させるメディアは如何なものかと思います。
⇒非常事態宣言中のメディア規制もすべき!!

安倍首相はじめ、子どもの頃に殴り合いの喧嘩もしたことのない、頭だけ良いお坊ちゃん政治家では難しいのかも知れません。
しかし、国難であり腹を据えて取り組んで貰いたいものです。

弱腰なのは外交だけかと思ってましたが、橋下氏、東国原氏くらいを、制御出来なれなければ、中国を崩壊に追い込めません。

対中国外交においては千載一遇のチャンスであり、是非、中国の嫌う靖国神社参拝を安倍首相は近日中に、また、天皇陛下の御親拝の復活を年内に実現させて欲しいものです。

それが、安倍内閣の最大の仕事です!!

【「空の神兵」顕彰会 会長・奥本 康大先生の投稿から頂きました。】

子供を壊す、文科省の劣化が止まらない!

新しい歴史教科書

子供を壊す、文科省の劣化が止まらない!

敵国を滅ぼすには、国語と歴史を取り上げればよいと言われている。今、我が国の歴史教育の「劣化・弱体化・破壊」が始まっている。

今、文科省の教科書調査官が、その歴史教育を破壊し始めた。なんと、自由社の歴史教科書を担当した4人の教科書調査官の内、一人が毛沢東思想の研究者であり、韓国霊山大学の専任講師をつとめた人物である。

***************************************************
自由社に一発退場宣言した諸悪の根源とも言うべき教科書調査官は次の四名。
氏素性を調べあげ更迭すべきだと考えます。

中前吾郎 主任教科書調査官(地理歴史科 世界史)
鈴木正信 教科書調査官(地理歴史科 日本史)
橋本資久 教科書調査官(地理歴史科 世界史)
鈴木楠緒子 教科書調査官 (地理歴史科 世界史)

***************************************************

もう一人が、家族破壊を目論むジェンダーの研究者である。

まさに日本の歴史崩壊を目論むスティルス族が、あろうことか、教育の中枢の文科省に巣くっているのである。

このような、誰が考えてもおかしな人事を、誰がしたのであろうか?

我が国の大切な歴史教育を、選りによって、独裁国家を礼賛したり、国を作る基本中の基本である家族の崩壊を目論むジェンダーフリーの人物に委ねて良いわけがないであろう。

今、客観的に見て、「日本国民にとって大事な精神を、最もよく反映している自由社の歴史教科書」が、このような心ない教科書調査官によって不合格にされてよい訳がない。

彼らは、国民全体の公僕を謳う国家公務員法の「国家公務員倫理法」に照らし合わせてみると懲戒免職に相当することをしたのである。

このような暴挙を許した文科大臣の責任も追及されて良いだろう。

あれほど安倍政権を倒すのに躍起な野党議員もこの件では、一部を除いて、殆どの議員がだんまりだ。

このことからも、共産中国や韓国のスティルス議員が、いかに多く跋扈しているかが分かるというものだ。

しかし、その矢面に立つ文科大臣は、若手の時から、安倍首相と共に歴史教育の改善に力を入れてきた萩生田光一議員であるから始末が悪い。

私の選挙区の議員でもあり、応援しているので大変心苦しくもある。

なお、自由社の歴史教科書が不合格になったのは、「欠陥箇所」が教科書のページ数の1.2倍を超えたからだというが、その中味は単純な誤記・誤植な事実の間違いは少なく、「生徒に誤解を与えるおそれがある」「生徒が理解しがたい」という理由が「欠陥箇所」総数の72%を占めている。

このような検定項目は、教科書調査官の主観的な思い込みがいくらでも入り込む余地のあるものである。

文科省には、不合格の撤回と国民に対する謝罪、およびk教科書調査官の懲戒免職を求めたい。

おりしも、武漢ウイルス感染拡大を防ぐため全国の小中学校の休校を決めた安倍総理の要望に関して、萩生田文科大臣は記者会見で、「国家の意思を示した」と述べた。

国家百年の計を誤る今回の「一大教科書事件」に関しても、国家の意思を示して頂きたい。

今こそ、国の意思を示す時だ!

【歴史市民塾・澤井コンサルタント事務所代表の投稿から頂きました。】

日本を墜落させた戦後教育

日本を墜落させた戦後教育
「教育は国家百年の大計」 といいます。
今の日本を創ってきたのも教育ならば、これからの日本を創るのも教育です。
「平等・人権・平和」 の名のもとに日本人の背骨とも言うべき 「精神」 を骨抜きにした 「戦後教育」 にお引き取り願い、本来の教育の目的を取り戻し、来世紀の子孫を苦しめることがないよう、切に願います。

◆ 塗炭の苦しみにあえぐ日本
今の日本は、戦後の経済繁栄を築き上げたあと、その間に蓄積されてきた欠陥や、なおざりにしてきた課題が一挙に露呈し、相互に絡み合って、解決不能の局面にあえいでいるかのように思えます。
政官民の分け隔てない、倫理観の喪失をはじめ、特に最近目立ってきた、学生や若者たちの破滅的な言動を見るときに、日本人というよりも、人間的な規律と規範の乱れが、急速に、しかも激しく若者たちや社会を蝕み始め、各所にその症状が現われ始めように思えます。
この原因はいったい何なのか、そして、この窮地から脱するにはどうすればよいのでしょうか。

◆ 戦後教育50年の結論
「 政策上の失策は、影響は大きいが、それに気付いて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。
しかし、教育の場合は、アヘンのように全身に毒がまわって表面にあらわれるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する 」 とは、かつての福沢諭吉の言葉ですが、まさに50年たった今、その症状が現われてきたと言えるのではないでしょうか。
いま直面しているさまざまな不祥事や、若者たちの暴走の淵源を深く考えたとき、その原因はいずれも、戦後50年の間に教育が無視してきた、 「 道徳観や倫理観 」 の希薄化に行き着くと言わざるをえないと思います。
最近、 「 平等主義が学校を殺した 」 という言葉を目にしましたが、私たちは確信をもって 「 人権・平等・平和 」 という戦後教育は完全に失敗であったと、勇気をもって結論を出す時期が来たように思います。

◆ 教育の目的とは何か
現在の教育の問題点を考えたときに、まず思うことは 「 教育の目的を見失っている 」 ということです。
教育は何のために行なわれるのでしょうか。
その原点とはなんでしょうか。
教育の真義とは 「物事の善悪を分ける力を身につけさせて、よりよき判断をするための智慧を獲得させること」 にあると思います。
多くの間違いを避けるための 「 転ばぬ先の杖 」 を体得するための知識を教えることが 「 教育の原点 」 にあると思います。
毎年毎年、次第次第に、悪を捨て、善を取ることが容易になってきてより早く善悪がわかり、より早く決断ができるよう導くことが、教育の理想であると思います。
そして、善を取り、悪を捨てることが確実にできる人が、結局は立派な人であり、すなわちこれ 「 偉人 」 であるのです。
ジョン・F・ケネディー( アメリカ第35代大統領 )は、 「誤った教育を受けた子供は、道に迷った子供である」 と述べましたが、特に今の日本の子供たちは、この善悪が判断できなくなり、行くべき方途を見失った迷子のようです。
まさしく教育の失敗であり、教育の本来の使命が果たされていない結果ということではないでしょうか。

◆ 人の心は自由にできない 原点は後ろ姿での教育
昨今の教育関係者の発言を聞くときに、大変心配する事があります。
それは、最近の学校の荒廃の責任を、子供たちに押し付けているように思えることです。
子供たちに、 「 思いやりをもってほしい 」 とか 「 命の大切さを知ってほしい 」 などと、子供たちが変わることばかりを、要求しているように聞こえますが、そこには、大切な原則が見落されています。
それは、 「 人の心は自由にできない 」 という黄金律です。
自分自身を振り返ると、よくわかると思いますが、自分自身の心さえ思うようにならないのが真実ではないでしょうか。
自分の心がままならぬのに、ましてや、他人の心ばかりを変えようと焦ることは、愚かなことなのです。
まずは大人や親が、えりを正すべきであります。
自分自身が人間としてどれほど立派な生き方をしているのか、これをよく、えりを正して考えてみることが必要だと思います。
そして、背中でもって教育をする、後ろ姿でもって教育をするという方針を貫き、その 「 影響力 」 や 「 感化力 」 で子供たちを導いていくことが教育の原点であり、いま最も必要とされていることだと思います。

◆ 未来への希望は道徳教育の充実
「 修身・斉家・治国・平天下 」 という言葉が、儒教の四書のひとつ、 「 大学 」 にあります。
これは、心を正しくすることが、身を修めることになり、それが、家をととのえて、国が治まることにもつながるという意味です。
「 修身 」 ・ 「 家庭における徳育 」 と言えば、古くて時代錯誤に過ぎないと軽視することは、あまりに愚かなことであります。
今、父性的な 「厳しさ」 は影をひそめ、母性的な 「優しさ」 ばかりが、過保護や過干渉という形であらわれ、家庭のバランスが崩れています。
そして、結局はそこから社会の混乱を呼び起こしているのです。
この出発点には、当たり前のしつけができる親がいなくなり、情操教育( 人間の真なる生き方を子供に教えること )というものがなされなくなった状況があるように思います。
あのノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も、小さい頃から、祖父によって 「 四書五経 」 という中国の古典を素読させられ、そしてしっかり勉強していたという話が伝えられています。
ですから、私たち大人や親はそうした古い教養書、または道徳書、あるいは宗教書、こうしたものをつね日頃勉強して、その中で心に留まる 「 光の言葉 」 というものを記億し、折りにふれて子供たちに伝えてあげることが、何よりも大事なことであると思います。
今、教育界やマスコミには勉強自体を否定する空気があるように思いますが、これも間違っています。

◆ 「知は力なり」 「知ることは喜びである」
本来、知ることや学ぶことは、人問にとって喜びなのです。
ですから、まず、こうした徳育というものを家庭を中心に行ない、また、家庭以外の学校においては 「 真理をともなう知識 」 を獲得するための教育をしっかりと行なう。
これこそが、多くの人々や社会に有為な人材を育て、希望の未来を開く鍵であると思います。