「新しい公民教科書」文科省検定の「見える化」-3

 

 

「新しい公民教科書」文科省検定の「見える化」-3 です。

ここからも文科省調査官の思想汚染が、いかに進んでいるか、窺い知ることが出来ます。小山ブログを要約しシリーズで転載します。

「作者から拡散自由を頂いております。」
その1
「帝国議会の憲法改正審議さえもGHQに完全統制されていた。」教科書制作史上初めて明らかに記した。

 真っ先に挙げるべきは、「日本国憲法」成立過程の真実を書いたこと。

国家の解体を進める公民教育から脱却すべく現代日本国家の大枠をデザインしてきた「日本国憲法」の成立過程について真実の歴史を語ることである。

 この成立過程については、「日本国憲法の成立」で2頁使った。

「GHQ案の提示」との小見出しの下、現行版を受け継ぎ、マッカーサーによる憲法改正の指示とGHQ案の押し付けを記した。

「議員の追放と憲法改正の審議」の小見出しの下、帝国議会での「日本国憲法」審議がGHQによって統制されていた事実を「史上初めて」記述した。

以下、教科書本文

 英文の新憲法案を基礎に日本政府は 政府案を作成し、3月6日に発表し、4月10日、衆議院議員の選挙を行いました。

1月にGHQは戦争の遂行に協力した者を公職から追放するという公職追放を発令していました。

そのため、この選挙のときは現職の82%の議員は追放されていて、立候補できませんでした。

さらに5 月から7月にかけて、議会審議中にも貴族院と衆議院の多くの議員が公職追放され、新たな議員に代わりました。

これらの議員が憲法審議を行いました。

 また、当時は、GHQによって、軍国主義の復活を防ぐという目的から、信書(手紙)の検閲や新聞・雑誌の事前検閲が厳しく行われました。

GHQへの批判記事は掲載がいっさい認められず、 特にGHQが新憲法の原案をつくったということに関する記事は掲載しないよう、厳しくとりしまられました。

したがって、憲 法審議中、国民は新憲法の原案がGHQから出たものであることを知りませんでした。

 このような状況のなかで憲法改正の政府案は6月から10月にかけて帝国議会で審議されました。

帝国議会では、主として衆議院の憲法改正特別委員会小委員会の審議を通じて、いくつかの重要な修正が行われました。

 “ たとえば、当初、政府案の前文は「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」と記していました。

小委員会もこの案をそのまま承認するつもりでしたが、国民主権を明記せよというGHQの要求があり「ここに主権が国民に存することを宣言し」と修正しました。

 小委員会の審議は、一 般議員の傍聴も新聞記者の入場も認められない密室の審議でした。

こうして可決された日本国憲法は、11月3日に公布され、翌 年5月3日より施行されました。

上記の “  ”で括った部分は、今回の教科書で新たに書き加えた文章である。“  ” のように、議会審議中にもGHQから憲法改正案の修正要求が出されており、帝国議会の憲法改正審議さえもGHQに完全統制されていた。

このことを教科書史上初めて明らかに記したことは非常に意義深いといえる。

【歴史市民塾・澤井コンサルタント事務所代表の投稿から頂きました。】