正論編集部の「つくる会」批判に反論する (4)


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●正論編集部の「つくる会」批判に反論する (4)

●文科官僚との論争の勝ち負けの判定

 正論編集部論文の第二の問題点は、この論文が文科官僚の代弁人に成り下がっていることである。そのことを論文の文面に即して確かめてみよう。

 「正論」六月号の一九七ページに次の一文がある。
 【自由社版に対する検定意見で「つくる会」に分がある主張も挙げておこう。】

 つまり、この論文は、「つくる会」対文科官僚という対立構図のなかで、この一文以前の事例に関しては全てが文科官僚の「勝ち」と判定していることになる。

文科官僚の側から見た星取り表として整理すると次のとおりである。
 ○文科官僚の勝ちと判定した事例
 ▽共産党政権
 ▽菅原道真の職名
 ▽毛利輝元と関ヶ原の戦い
 ▽聖徳太子
 ▽「満州」と「満洲」
 ▽「トモダチ作戦」

 ●文科官僚の負けと判定した事例

▽新元号「令和」用の伏字
 ご覧のとおり、正論編集部論文の判定では六勝一敗で文科官僚の圧勝である。

一敗の事例を入れたのは、編集部論文のあまりの偏りを誤魔化すための、公平を装う格好つけである。

 だが、この事例の選択は恣意的である。

言い換えれば執筆者にとって都合のよい事例のつまみ食いである。

例えば、今回の検定で最もよく知られている、「仁徳天皇・古墳に祀られている」の事例をなぜ論じないのか。

全体として、どういう論理で両者の勝ち負けを総合的に決めるのか、その基準がない。

 そこで、正論編集部にお願いしたい。

「つくる会」と私の共著の形で、百の事例に限定して文科省の検定意見に対する反論をまとめた『教科書抹殺 文科省はこうして「つくる会」を狙い撃ちした』(飛鳥新社)がある。

この百件について、編集部として勝ち負け判定をしていただきたい。

 判定の基準は「どちらの勝ち星が五十を超えるか」ではない。

「つくる会」側の執筆者の勝ち星が二十九に達するかどうかである。

なぜなら、欠陥箇所が二十九箇所少なければ、自由社の歴史教科書の年度内再申請を、いやでも認めざるを得ないという制度になっているからだ。

私たちは、同じ判定を同書の読者に呼びかける予定なので、その結果と比較するのも一興である。

 正論編集部がなぜこのような地点まで突如として変貌してしまったのか、その理由はわからない。

だが、その言い分は文科省の官僚の言い分とピッタリ重なっていることだけは確かだ。

正論編集部は、こんなことを書いている。

 【目に留まるのは、今回欠陥とされたうち、前回の検定で欠陥と指摘され、適切な記述に修正し合格したものを今回、元に戻して申請していた箇所が四十程度に及んだーという点である。
そこで「同じ轍を踏む」ことなく「欠陥」とされなければ、自由社版は合格した可能性が高いのである。】

 これはまさに、文科官僚が与党の国会議員に盛大に触れ回っていることである。

どうしてそれがわかるかというと、「つくる会」は「一発不合格」を食らった後、その不当性を、十数人の国会議員に面会して訴えてきたのだが、その過程で、議員から文科省の「反論」を間接的に聞かされてきたからである。

正論編集部の右の書き方は、ほとんど文科官僚の言い訳の口移しである。

一体、誰からこの話を聞いたのか、明らかにしていただきたい。

 右に引用した「四十」箇所に関連して、文科官僚が重大な発言をしていることがわかっている事実を指摘しておく。

文科省の丸山洋司初等中等教育局長は、「十一月五日の検定結果申し渡しの日に、『問題の四十箇所を直せば年度内に再修正させてやる』と持ちかけたが、執筆者側は頑なにこれを拒否したから、不合格になった」という趣旨のことを語っている。

 制度上、そのようなことは出来るはずもなく、事実としても、当然ながら文科省側からはそのような話は一切なかった。

簡単に言えば、これは完全なデマである。

初等中等教育局長はこのようなデマを流した責任を取らなければならない。

 文科官僚は、なぜこの種のデマを製造して流しているのか、その動機についての私の推測を書く。

文科官僚は、「一発不合格」制度の非人間的で残酷な本質を知られたくないのである。

だから、あたかも、「つくる会」側が頑なに修正を拒んだので落とさざるを得なかった、という「つくる会」に責任をなすりつける架空のストーリーで国会議員を誑かそうとしたのである。

それにしても、正論編集部論文は文科官僚の代弁人を得々として演じて恥じるところがない。

正論編集部も官僚の手口に誑かされたのではないか。

言論人として恥ずかしいことである。

【新しい歴史教科書をつくる会・藤岡 信勝 副会長の投稿から頂きました。】