◆私学の歴史とその使命

◆私学の歴史とその使命
明治維新後、身分制度の時代が終わると、学問を究めることで誰もが「立身出世」が出来る新しい時代になりました。
当時、福沢諭吉の「学問のすすめ」はベストセラーとなり、「立身出世」を目指して国民はイキイキと輝いていました。
「立身出世」という言葉には、「自らの学問を修め、世の中のために役に立つ人材になる」という意味があります。
そうした明治の学問に対する気概が、日本を猛烈なスピードで世界列強の一つに引き上げたのです。
私学には、明治の草創期から始まり、いま大河ドラマで放映されている
新島襄の同志社をはじめ、福沢諭吉の慶応義塾、東京法学社(法政大)、専修学校(専修大)、イギリス法律大学(中央大)、日本法律学校(日大)、東京専門学校(早稲田大)などがあります。

私学の特徴は、自由の気風を持ち、英語・法律などの実学を重んじ日本の近代化や法治国家に向けて社会に貢献する人材を育成しました。
このように私学が先んじて明治草創期に誕生し、その後の明治19年、帝国大学(東京大学)が設立されたのです。
注目すべきは、次代を予見できる識者(福沢諭吉や新島襄)が、自由な気風の大学を創り、新しい時代を担う人材を育成した点です。

?◆戦後の大学の迷走
しかし先の大戦後、日本を弱体化しようとする占領政策の影響で、日本は「国家としての使命」を見失うと、日本の大学も「大学として進むべき方向性」を見失いました。
明治時代の他のために役に立ちたいという「立身出世」の精神は、戦後になると良い会社に就職し、たくさんの給料をもらうための「自己の出世」の精神に変わってしまったのです。
戦後の大学は、良いところに就職し自分の生活を安定させるための登竜門に変わり、親たちは子供に「良いところに就職するため勉強しなさい」と言うようになり、結果、激しい受験を突破した後に「燃え尽き症候群」となる学生がでてきました。
1980年代、大学は「レジャーランド」と呼ばれるようになり、当時の大学生の関心事は、学問は二の次で、「遊び」「アルバイト」「恋愛」「趣味」「ファッション」と報道されたものです。
その後、1992年の「バブルの崩壊」で、企業の倒産が相次ぐと、「良い大学に入って良い企業に就職する夢」が崩壊し、また2002年以降の「ゆとり教育」で、世界と比べても勉強をしない学生が増え学力も低下していきました。
一方、大学の方は2007年頃から少子化の影響で学生数が減り、閉鎖、統合を余儀なくされ、大学への入学希望者総数が入学定員総数を下回る状況、いわゆる「大学全入時代」が到来しています。
こうしてバブル崩壊から「学歴信仰」が崩壊し、この20年、子供たちにとっても、なぜ自分が勉強するのか、その意義を見出せない時期が続きました。