正論編集部の「つくる会」批判に反論する(1)


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正論編集部の「つくる会」批判に反論する(1)

本日から数回にわたって「正論」七月号に掲載された拙論を掲載する。私は同誌4月号に「『つくる会』教科書をはねる文科官僚の職権乱用」という(編集部がつけた)タイトルの文章を書いた。

これは「『教科書検定』を斬る」という同誌の特集の論文の一つで、他の執筆者は石川水穂、高森明勅、加戸守行の各氏であり、いずれも文科省の検定を不当として批判する立場からの寄稿であった。

ところが、それから2か月五の同誌6月号には、「本誌編集部」の名による「『つくる会』教科書不合格/文科省批判と再検定要求の前に」と題する文章が掲載された。

その内容は文科官僚がこの間、責任を逃れるために一切の責任をつくる会に押しつけることと目的として製造したデマをまるごと真に受けた、驚くべき内容の「つくる会」批判であった。

私たちは言論による批判は歓迎する立場であるから、批判そのものはよいとしても、編集分論文は「一発不合格」制度についての無知を晒しており、事実関係の認識において根本的に間違っているので、批判以前の低劣な内容の文章である。

正論編集部の突如の変節が何によるものかはわからないが、産経新聞の過去数十年来の社論にも反する異常な出来事である。

そこで、私は直ちに正論編集部に電話をして反論を申し入れた。

田北真樹子編集長はなかなか私の反論の掲載を承認しなかったが、かなりのやり取りの後、結局は掲載を認めて、私の反論は同誌7月号に掲載された。

6月号を読んで7月号を読んでいない読者のいることが考えられるので、私はすぐにでも反論をこの欄に掲載したかったが、7月号が発売中であるので自制してきた。

しかし、その後も編集部論文の悪影響は現れているので、そろそろ次号の発売日が近づいたこの時期に、フェイスブックの読者に知っていただくために、ここに連載することにした。(以下、転載)

【正論7月号】
教科書検定制度への誤解に基づく正論編集部の「つくる会」批判に反論する
        新しい歴史教科書をつくる会副会長 藤岡信勝

 産経新聞社が発行する雑誌「正論」の二○二○年(令和二年)六月号に、「本誌編集部」という筆者名の「『つくる会』教科書不合格/文科省批判と再検定要求の前に」と題する論文が掲載された。

本稿はこれに対し、「つくる会」の立場から反論するものである。

なお、右の筆者名の「本誌」とは「正論」のことなので、文脈によっては指示対象がわかりにくくなる事態を避けるため、一貫して「正論編集部」と言い換えることにする。

●「一発不合格」という残酷な制度
 正論編集部論文の第一の問題点は、今回のテーマにおいて最も重要な「一発不合格」制度の本質への理解を欠き、この恐るべき制度についての事実誤認を前提に議論が組み立てられていることである。

 「一発不合格」制度とは、検定意見の数が教科書の総ページ数の一・二倍以上あるものは、年度内に再申請をすることができず、従って、検定意見も交付されず、検定意見は「欠陥箇所」と名前を変えて申請者に申し渡されるだけという、血も涙もない制度である。

「一発不合格」処分を食らった教科書は、年度内に再申請できないのだから、翌年度に行われる採択戦に参加することが出来ない。

教科書は商品であるから販売が禁止されれば、生き残ることはできない。

だから、「一発不合格」制度の本質は、教科書の「死刑宣告」であり「抹殺」なのである。

「一発不合格」は、このような残酷な制度の本質を表すために、「つくる会」がつくった用語である。

これが制度の実態をよく表しているからこそ、メディアもそのまま使い始めて、今ではすっかり定着したと見て差し支えない用語となっているのである。

 「一発不合格」の「一発」については、銃によって一発で射殺されるという場面の喩えで考えてみていただきたい。

射殺された者は即死であるから、何も発言することはできない。

完全に口を封じられる。刑の執行者との交渉の余地は与えられていない。

教科書検定の「一発不合格」も、原理はこれと全く同じである。

交渉の余地があれば、それは「一発」ではなく、「二発」不合格になる。

五月一日、「つくる会」は正論編集部論文への抗議声明を発した。

その中に、同論文が「文科省の指摘に従う」べきだと主張していたことについて書いた、次の一節がある。

「そもそも、文科省の指摘に従うといっても、『一発不合格』ですから、執筆者側には一切の修正も再申請も認められていないのです。

だからこその『一発』不合格なのです」
 自由社の「一発不合格」にいたる経過を次の時系列で確認しておこう。

【令和元年】
▽十一月五日 文科省、自由社に「不合格」の検定結果通知。四百五件の欠陥箇所を指摘
▽十一月二十五日 自由社、百七十五項目の反論書提出
▽十二月二十五日 文科省、自由社に「反論認否書」を交付、百七十五項目の反論の全てに「否」の判定を下す。「一発不合格」が確定
【令和二年】
▽二月二十一日 つくる会、「一発不合格」を公表
▽三月十日 参議院文教科学委員会で松沢成文議員(維新)が自由社不合格について萩生田文科大臣に質問。文科相は検定期間中を理由に見解表明せず
▽三月二十四日 文科省教科書検定審議会、中学校教科書の全ての検定結果を公表

 この経過の中で、教科書調査官との教科書の修正をめぐる話し合いの機会など一度として与えられていない。

十一月五日と十二月二十五日の二回、四人の教科書調査官と面接する場面はあった。

しかし、それは、文科省側からすると、希望があればサービスとして「欠陥箇所」の趣旨について説明してやるというだけのことだ。

「修正」を前提として話し合ったわけでは全くない。また、十二月二十五日の最終決定の通知後の面接では、すでに決定した後であるから、これも単なるサービスにすぎない。

 そもそも「一発不合格」となった教科書には、検定意見が交付されないのだから、修正の機会そのものが剥奪されているのである。

正論編集部論文は、この最大のポイントを全く理解せず、「一発不合格」を言い渡した文科省官僚の残忍さを想像すら出来ないままに書かれている。

これがこの論文の最大の、致命的な欠陥である。(つづく)

【新しい歴史教科書をつくる会・藤岡 信勝 副会長の投稿から頂きました。】